会計士ブログ⑦TCFDについて

こんにちは。会計士のryojitanです。本日は、TCFDについて気ままに書いていこうと思います。

 

TCFDという言葉をはじめて聞く方も多いのではないでしょうか。TCFDとはTask Force on Climate-related Financial Disclosuresの略称で、気候関連財務情報開示タスクフォースとなります。正式名称を聞いてもよくわかりませんね...(汗)平たく言えば、各企業の気候変動への取り組みを開示することを推奨する組織となります。気候変動は地球温暖化からもたらされる台風、干魃等が地球環境にネガティブな影響を与え、それに対する企業の取り組みを開示する枠組みを決定する組織です。開示項目は、ガバナンス、リスクマネジメント、戦略、指標と目標の4つの視点で記載します。

ガバナンスとは、気候変動が企業に与える影響に対してどのように企業として取り組んでいるかとなります。それは、委員会での気候変動のネガティブな面を分析し、役員で共有すること等です。リスクマネジメントとは、気候変動のリスクをどのように識別・評価しているかを説明します。戦略とは、短期・中期・長期という時間軸で気候変動の影響を特定し、ビジネスにどのように影響を与えるかについてシナリオを策定し、リスクと機会を説明します。指標と目標は、リスクと機会が重要である場合、その評価と管理に使用する指標や目標を開示します。

スコープ1-3の開示もあり、スコープ3を選択するとサプライチェーンも含めたGHG排出量の開示となり、取引先のことも考えて再生可能エネルギーの使用を進める企業が増えていくかも知れません。今後は各企業とも環境に配慮した経営というものは必須になっていき、全体としては良い方向に向かっていくことでしょう。

ただし、あくまでTCFDが提唱する4つの項目の開示は、企業活動の手段の1つと捉え、目的としてしまうと良くない面もあると思われます。気候変動があたえるネガティブ面も検討していき、一方では再生可能エネルギーであってもどうしたらコスト増することなく企業価値を増大していけるか、他とのバランスも考えて活動していく必要があるのではないかとは思います。

 

会計士ブログ⑥ 人的資本について

こんにちは。会計士のryojitanといいます。本日は人的資本の開示について書いていこうと思います。

最近は非財務情報の開示の中で、人的資本をどのように開示していくか、が議論されています。人的資本とは人が持つ能力を資本とした経済学の考え方であり、従来から考え方はありましたがこれを投資家に開示していく、財務諸表にどう取り込んでいくかについてはあまり意識されていませんでした。こちらが今は活発な議論がされており、会計の視点で背景を記載していきたいと思います。

1980年代と少し前の時代を振り返るとビジネスの中心は製造業であり、会社が保有する機械や土地といった有形固定資産が企業価値を高める中心的な存在でした。最新式の機械を導入し、効率良く高品質の製品を製造していくかが重要であり、人の存在はその機械を使う黒子的な役割が大きな割合を占めてました。そのため、従業員の持つ能力に差があっても付加価値の中で人の能力により生み出されたアウトプットの割合は低く、給与としてコストの概念が実態と大きくは乖離していなかったと思われます。ただし現代になると、インターネットに代表される通信技術が飛躍的に進歩し、世界中の情報が安価に手に入る時代となりました。ビジネスのコアとなる情報も手に入りやすくなり、必然的にビジネスの付加価値の源泉が製造から開発・研究に移行してきます。情報化時代には、機械等の有形固定資産が付加価値を生む源泉ではなく、人の能力に代表される無形資産が付加価値の源泉になっていきます。

一つの例として、FacebookInstagramをM&Aした際の話を紹介します。FacebookSNSの市場でプラットフォームを提供する中心的な会社です。市場シェアで圧倒していた2010年頃、創業間もない売上高ゼロ、社員13人とされたInstagramを600億ほどで買収しました。実際はInstagramも利用者が爆発的に伸びていたので、売上も社員数も急成長段階ではあったと思われますが、規模に対して非常に高い買収額といえます。これは、Instagramが提供するサービスがモバイル市場でシェアを獲得していくビジネスモデルであると高く評価していたためと思われます。ビジネスモデルに価値があったため高額な買い物となりましたが、そのモデルを築いた従業員の能力が大きく寄与していることが明らかではあります。ただ、そういったビジネスモデルや人の能力はInstagramの財務諸表には資産として計上はされておらず、その当時の規模からして購入価額600億円とInstagramの純資産は乖離が大きいと推察され、おそらくではありますが、ほとんどはのれんとして会計処理したものと思われます。

このように購入時にはのれんの中に入り込むかたちで無形資産は評価されますが、買収等がない限り無形資産は資産計上されることは通常はありません。無形資産の価値を測定する会計基準は開発中であるものの、測定に主観が入りやすく、客観的な測定、評価が非常に困難とされております。財務数値として測定することが困難であることから、競争力の源泉である人的資本を非財務情報として開示することで、投資家が企業を適正に評価する意思決定ができるよう、2023年の有価証券報告書から開示が義務付けられるようになりました。

会計士ブログ⑤原価計算のはじまりについて

こんにちは。会計士のryojitanといいます。本日は、製造業ではなくてはならない原価計算について書いていこうと思います。

 

原価計算は工場で製品を作るようになった19世紀末のアメリカで、1つあたりの製品原価を把握するために考案されました。それまでの会計は主に外部に対する報告の役割が強く、この製品の原価を計算することは、投資家や債権者へ報告のための財務会計と損益管理の管理会計に分岐するターニングポイントであったと思われます。当時は産業革命後で機械を使った製品の大量生産が主流となり規模を追求するようになります。アメリカは移民大国で思考も文化も違う人々の集まりであったことから、なるべく標準化された管理によって経営がされる必要がありました。標準化された小品種の製品を機械によって大量生産していきます。大量生産されるようになると、経営者は製品1つあたりのコストがいくらになるか知る必要があります。製品原価に直接結びつく材料費は直感的にも計算しやすいものの、直接的な結びつきがない労務費や、大量の機械を導入したことにより発生した減価償却費をどのように製品原価に落とし込むんでいくのかが課題となりました。そのような中で工場で製品一つ当たりの原価を測る仕組みが、原価計算として形成されていきます。

 

19世紀末に考案された原価計算はあくまで大量生産と規模を追求した結果、製品1つあたりの支出を正確に把握するために必要なツールとして考案されたもので、これを実際原価計算といいます。それが20世紀前半になり、効率を追求した結果登場した標準原価計算によって大きく飛躍します。20世紀前半には、大量生産による無駄をなくしていくため効率が目指され、効率を高めるためにコスト削減がされていきます。大量に生産する事から安く作ることを考えはじめた製造業は、テイラーの科学的管理法を会計に応用した標準原価計算を使い始めます。標準原価計算によって様々な無駄が見える化していき、効率化は後に予算管理の分野でも用いられるようになっていきました。

会計士ブログ④ 鉄道会社と減価償却の誕生物語

こんにちは。会計士のryojitanです。今回は鉄道会社と新たな会計ツールの誕生について気ままに書いていこうと思います。 

時代は18世紀。産業革命が起こる少し前のイギリスでは生活の中心が農業から工業にシフトしていく中、燃料や造船、鉄の製造に多くの木材が使用されていました。需要旺盛な木材の消費は森林の回復速度を上回り、イギリス国内では慢性的な木材不足が頭を抱える問題となりました。木材だけでは燃料の確保ができなくなり人々の生活に支障が出始めると、新たな燃料として石炭に目がつけられます。植物が長い年月をかけて固形化された石炭は、イギリスの地中に多く埋蔵されており、黒いダイヤと呼ばれ各地で炭鉱の採掘が活発化していきます。削岩機がない当時の採掘は相当の重労働だったことでしょう。。。。力自慢は石炭を求め穴を深々と掘り進めていきます。炭鉱を掘り進んでいくとそんな力自慢を悩ますある問題に直面します。轟々と湧き出る地下水です。湧き出た地下水は、労働者の採掘に大きな支障となってしまいます。この地下水を取り除かないと採掘ができない。。。。そこでイギリスの発明家ニューメコンが解決策として排出用ポンプを考案しました。蒸気を利用した気圧の作用でピストンが上下し、地下水をくみだすことに成功します。このニューメコンが発明した蒸気機関の排出ポンプは鉱山の作業環境改善に貢献し、後に発明家ジェームズ・ワットによって改良され産業革命の動力となっていきます。

この産業革命の心臓部とも言える蒸気機関の力を乗り物につなげる着想を思いついた方がいます。ジョージ・スティーブンソンは蒸気機関を石炭輸送のための蒸気機関車として設計し、一度に30トンの石炭を炭鉱から運ぶことができたようです。30トンだとさすがに人力では難しそうですね。。。当時の人々の陸の移動手段といえば馬車であり、人数の制限や天候に左右されやすいなどの問題点もありました。そのような中、蒸気機関交通機関に応用したら多くの人を一度に、正確に、早く送り届けることができるのではないかと思い付きます。そして世界で初めて実用的な鉄道であるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が1830年に路線開通されます。この鉄道の開設は人々の生活様式に大きな影響を与えましたが、会計制度にも画期的なアイデアを生み出すきっかけになったのです。

 鉄道はその利便性からまたたく間に広がりを見せ、イギリスでは1830年から1850年の20年間で、10,000キロのレールが引かれたといいます。北海道と沖縄の距離が3,000キロなので、その3倍の長さの鉄道網が敷かれたことになります。ただでさえ鉄道産業は投資にお金がかかりますので、20年の間にこれだけ鉄道網が拡大したとなると相当の資金が必要になったことでしょう。この資金の多くは株式を発行することで投資家から調達されましたが、ここで鉄道産業特有の問題が生じます。生活の近くにあり利便性の高い鉄道は運賃は高くないものの継続して利用されるため、収入は安定的に少額が継続して入ってきます。対して支出は鉄製のレール、車両、枕木、走行するための土地と初期に莫大な投資を行いますので、それを一時費用とすると大赤字となってしまいます。これでは株主からの資金調達もままなりませんし、利益の計上が安定しないことで株主への配当もいつ株主になったかで不公平が生じます。それを解決するため、減価償却という一定期間を通じた物の価値の減耗に合わせて固定資産を費用計上していき、将来の収益と対応させるルールが設定されました。

この時期、商人の懐事情を把握するための会計から、報告制度としての公的な側面がより強くなり、公認会計士が誕生するなど、近代の会計制度の基礎ができた時代と言えそうです。

会計士ブログ③ 株式会社の歴史

こんにちは。会計士のryojitanです。本日は、株式会社の成り立ちについて気ままに書いていこうと思います。

 

会社といえば合同会社や合名会社の名前を思い浮かべる方より、株式会社をイメージする人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか!?会社=株式会社といっても大袈裟ではないほど世の中に浸透した株式会社、そのルーツは4世紀ほど時代を遡った大航海時代真っ只中のオランダになります。大航海時代の主役、スペインやポルトガル、オランダが航路を開拓する前、べニスの商人によってインドや東アジアから運ばれてきた胡椒を始めとするスパイスがヨーロッパでは大変重宝され、高額で取引がされていました。スパイスを手に入れるためインドに到達する貿易路はオスマン帝国を通過する陸路を経由する必要があります。しかしオスマン帝国東ローマ帝国を滅ぼして地中海の制海権を得ると貿易路に多額の関税をかけたため、商人達の負担になってしまいました。そのような中、1498年にポルトガルのバスコ•ダ•ガマはアフリカの最南端、喜望峰経由でインドへの到達を達成します。ここではじめて、陸路を経由せずアジアへ到達する経路が開拓されたのです。

こちらの航路でインドとの貿易に先行したのは、スペインとポルトガルでした。東方貿易や北海・バルト海貿易でも恩恵を受けられない地政学の不利な条件が、アフリカ経由のアジアの航路開拓に一役買ったのでしょう。スペインとポルトガルはこの航路で、ヨーロッパからしたら関係があまりなかったインドや東アジアと次々に関係を築いていきます。日本にキリスト教を伝えた伝道師、フランシスコ・ザビエルについてもスペインで生まれポルトガル王・ジョアン3世の依頼でインドに派遣されていたようで、当時の両国の海上での強さをあらわすエピソードではないでしょうか。そして1580年にポルトガル王が死去するとスペインはポルトガルを併合、当時のスペイン王・フェリペ2世は敵国であるオランダの商業に打撃を与えるため、オランダのポルトガルの都市リスボンへの寄港を禁じました。リスボンはインドからもたらされた胡椒が集まる一大拠点、オランダはリスボン経由で手にしていた胡椒がほとんど入って来なくなったこととにより自力で香辛料を手に入れるしかなくなってしまいました。いつの時代も、制約があらたな突破口を開いていくのかもしれません。。。

困ったオランダは考えました。すでに海上はスペイン優勢の中、状況を挽回するにはどうすれば良いのか。海洋貿易の競争が激化している中、規模が小さな集合体では太刀打ちできないでしょう。当時の航海は莫大な資金が必要で非常に危険も伴いますが、ハイリターンで魅力も十分あり、資産家が資金を用意しておりました。ただ、少人数の資産家から資金を集めるにしても限界があります。ここで大人数の方から資金を集め、出資者の投下資本が安全に回収される仕組みを作れば、資本力で勝る集合体ができるのではないか、そこで株式会社の仕組みが考えられました。ハイリスクであるが故に、出資者たる株主の責任を出資額を限度に有限とし、株式を譲渡することで資本の回収ができる仕組みとし、出資者の責任や投下資本の回収に配慮したのです。

そして1602年に多額の資金の調達に成功した世界初となる株式会社、オランダ東インド会社(通称:VOC)が設立され名を刻むことになりました。

会計士ブログ② 簿記の歴史

こんにちは。現役会計士のryojitanです。本日は簿記の歴史について気ままに書いていこうと思います。

 

皆さんは簿記と聞いて何をイメージされますでしょうか??はじめて聞かれた方もいるかもしれません。鋭い方は単語からなんとなくイメージできるかもしれませんが、簿記とは帳簿に日々のお金に関わる活動を記録することになります。どれくらいの売上があったか、どれくらい支払ったか、どれくらい現金を保有しているか、それら活動の記録を総称して簿記といいます。

 

では、この簿記とはいつの時代から使われていたのでしょうか。お金が存在すればどれだけ残っているかを把握する必要があります。時代は遡り4000年前の古代のバビロニア、そこで記されたハンムラビ法典に簿記に関わる記載があるようです。文明社会が築かれてからはなくてはならない存在だったのでしょう。そして簿記には単式簿記複式簿記の2種類があります。

単式簿記とは、1つの勘定科目で取引を記録していく帳簿のつけ方をいいます。家計簿を想像してもらえるとわかりやすいかもしれません。1月はお年玉を現金1万円貰い、ゲームの購入に2千円を現金で払い、食事代として3千円現金で支払いました。その結果、現金は手元に5千円残ります。こちらが単式簿記、1つの勘定科目である現金を基準として取引を記録していきます。シンプルでわかりやすい利点はあるものの単式簿記はそのシンプルであるがゆえに、取引が高度化すると対応ができなくなり、時は15世紀、新たに複式簿記が生まれます。

複式簿記とは、どのような取引(種類)で、その取引の後に何が残ったか(結果)の仕訳とよばれる2つの事象を同時に記録します。この複式簿記のルーツは15世紀のイタリアに遡り、これが人類史上最高の発明の1つとまで言われ、当時の商取引に非常に大きな影響を与えていきます。何がそれほどまでに画期的だったのか、それは単式簿記ではどんぶり勘定で不透明であった儲けを要因ごとに管理することができるようになったことです。例えば、現金、売上、仕入の3勘定を思い浮かべてみましょう。単式簿記ではあくまで現金がどれだけ残っているかを把握する事が目的であるため、取引件数が多くなるほど売上、仕入を正確に把握することができなくなり、売上の伸びによる儲けなのか、はたまたコストを抑えたことによる儲けなのか、要因分析ができませんでした。また、為替取引や掛取引といった現金で即座に決済されない取引には、1つの勘定科目(現金)で管理する単式簿記は対応ができなくなってしまいます。そこで現れたのが複式簿記。結果だけでなく種類(取引フロー)も同時に記録する事で売上・仕入れの管理を可能とし、現金以外の為替取引にも対応することが可能です。15世紀のイタリアは東方貿易で需要が高まっていた香辛料や宝石、絹織物をヨーロッパに運んでおり、取引の規模、そして銀行のネットワーク拡大にこの複式簿記がとても大きな役割を果たすのです。

需要が高まっているならば取引規模を拡大したいものの、それには多額の元手が必要になります。この多額の元手になる原資はどうやら銀行の金庫に大事に保管されていましたが、銀行としても経営状況が不透明な会社には焦げ付きを恐れ、大判振る舞いして多額に貸すわけにもいきません。そこで複式簿記による管理が大いに役立ちました。会社がどのような要因で儲けがでたのかわかれば、銀行にも堂々と経営状況を報告することができます。経営状況を確認した銀行は、商売が軌道にのっているとわかれば融資を行うことができます。そして東方の商品の需要が高まるこの時代、銀行はイタリアだけでなく近隣諸国の旺盛な資金や為替取引のニーズを嗅ぎつけ、ネットワークを拡大したいと考えます。いわば近隣に支店を開設し経営管理することについても、複式簿記は役立ちました。経営状況を管理し、それを銀行(外部)に報告することが可能となった、現在でも企業活動を行う上での基礎が500年前のイタリアで築かれたようです。

 

そしてこの複式簿記の誕生から、現在に至るまで多くの会計手法が生み出され行くことになります。

会計士ブログ①

こんにちは。会計士のryojitanと申します。

 

ブログを始めたばかりではありますが、日々の仕事や書籍、交流を通じて思った事をなんとなく書き込み、私的な感想文のようになってしまいますが、もし一読していただけたら、なにかほっこりした気持ちになってくださる事を想って書くようにいたします。

 

会計士といっても、独立開業している方、事業会社で働かれている方、監査法人で働いてる方など様々ですが、私(ryojitan)は監査法人に勤務している現役の会計士であります。まだまだ若手だぞっ、と思ってはいたものの気づいてみたら30後半、いつの間にか部下からは突き上げられ、上司からは言われ放題、そんなポジションとなってしまいました😅。ブログを始めようと思ったきっかけは、勉強しないとついていけなくなるという焦りから日々、読書や会計雑誌、ニュースに目を通すも、頭に残っているのかな?情報は整理されているのかな?と自分自身に疑問が生じ、さらに焦る悪循環に(笑)。だったらアウトプットをなにかしらしようと、気づいたらはてなブログを登録した次第でございます。書くお題も決まっておらず、とりあえず監査の歴史を簡単にご紹介。

 

監査が必須となったのは戦後、いまから凡そ70年ほど前でしょうか。証券取引所の法的基盤が整理され再開に伴い、証券取引法に基づく会計士の監査が開始されたようです。当時は荒廃してしまった街を横目に復興の芽吹きが感じられる時代だったのかもしません。希望の2文字を胸に、取引所に上場した会社は事業の元手を探しておりました。そこで上場会社は自分たちの財務諸表(会社の財布の中身、売上の記録等を開示するようなものでしょうか)を開示し、投資家にこれだけ儲かっている、これかも儲けるから資本を入れてくれ、融資先にはお金を貸してくれたら利息もつけてお返しします、というわけです。投資家や融資先は、これはおいしい話だと思いつつも、第3者にチェックしてもらった財務諸表でないと心配でお金を渡せません。お財布の中身は潤沢ですよって大判振る舞いしていたのに、蓋を開けてみたら空っぽだったという状況になりかねませんからね。誰か上場会社が作成する財務諸表をチェックしないとステークホルダーたる投資家や債権者は不安で肝心のお金が潤沢に会社に回ってこない状況になってしまいます。

 

そこでステークホルダーの皆様が安心して取引できるよう、証券市場が円滑に機能するよう、監査制度が誕生しました。監査法人は、資本市場が円滑・健全に機能するための役割を担っております。

 

と書き込んでおりますが、ついつい大義を見失い日々目の前のことに忙殺される会計士ワークでございます...。