会計士ブログ③ 株式会社の歴史

こんにちは。会計士のryojitanです。本日は、株式会社の成り立ちについて気ままに書いていこうと思います。

 

会社といえば合同会社や合名会社の名前を思い浮かべる方より、株式会社をイメージする人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか!?会社=株式会社といっても大袈裟ではないほど世の中に浸透した株式会社、そのルーツは4世紀ほど時代を遡った大航海時代真っ只中のオランダになります。大航海時代の主役、スペインやポルトガル、オランダが航路を開拓する前、べニスの商人によってインドや東アジアから運ばれてきた胡椒を始めとするスパイスがヨーロッパでは大変重宝され、高額で取引がされていました。スパイスを手に入れるためインドに到達する貿易路はオスマン帝国を通過する陸路を経由する必要があります。しかしオスマン帝国東ローマ帝国を滅ぼして地中海の制海権を得ると貿易路に多額の関税をかけたため、商人達の負担になってしまいました。そのような中、1498年にポルトガルのバスコ•ダ•ガマはアフリカの最南端、喜望峰経由でインドへの到達を達成します。ここではじめて、陸路を経由せずアジアへ到達する経路が開拓されたのです。

こちらの航路でインドとの貿易に先行したのは、スペインとポルトガルでした。東方貿易や北海・バルト海貿易でも恩恵を受けられない地政学の不利な条件が、アフリカ経由のアジアの航路開拓に一役買ったのでしょう。スペインとポルトガルはこの航路で、ヨーロッパからしたら関係があまりなかったインドや東アジアと次々に関係を築いていきます。日本にキリスト教を伝えた伝道師、フランシスコ・ザビエルについてもスペインで生まれポルトガル王・ジョアン3世の依頼でインドに派遣されていたようで、当時の両国の海上での強さをあらわすエピソードではないでしょうか。そして1580年にポルトガル王が死去するとスペインはポルトガルを併合、当時のスペイン王・フェリペ2世は敵国であるオランダの商業に打撃を与えるため、オランダのポルトガルの都市リスボンへの寄港を禁じました。リスボンはインドからもたらされた胡椒が集まる一大拠点、オランダはリスボン経由で手にしていた胡椒がほとんど入って来なくなったこととにより自力で香辛料を手に入れるしかなくなってしまいました。いつの時代も、制約があらたな突破口を開いていくのかもしれません。。。

困ったオランダは考えました。すでに海上はスペイン優勢の中、状況を挽回するにはどうすれば良いのか。海洋貿易の競争が激化している中、規模が小さな集合体では太刀打ちできないでしょう。当時の航海は莫大な資金が必要で非常に危険も伴いますが、ハイリターンで魅力も十分あり、資産家が資金を用意しておりました。ただ、少人数の資産家から資金を集めるにしても限界があります。ここで大人数の方から資金を集め、出資者の投下資本が安全に回収される仕組みを作れば、資本力で勝る集合体ができるのではないか、そこで株式会社の仕組みが考えられました。ハイリスクであるが故に、出資者たる株主の責任を出資額を限度に有限とし、株式を譲渡することで資本の回収ができる仕組みとし、出資者の責任や投下資本の回収に配慮したのです。

そして1602年に多額の資金の調達に成功した世界初となる株式会社、オランダ東インド会社(通称:VOC)が設立され名を刻むことになりました。