会計士ブログ④ 鉄道会社と減価償却の誕生物語

こんにちは。会計士のryojitanです。今回は鉄道会社と新たな会計ツールの誕生について気ままに書いていこうと思います。 

時代は18世紀。産業革命が起こる少し前のイギリスでは生活の中心が農業から工業にシフトしていく中、燃料や造船、鉄の製造に多くの木材が使用されていました。需要旺盛な木材の消費は森林の回復速度を上回り、イギリス国内では慢性的な木材不足が頭を抱える問題となりました。木材だけでは燃料の確保ができなくなり人々の生活に支障が出始めると、新たな燃料として石炭に目がつけられます。植物が長い年月をかけて固形化された石炭は、イギリスの地中に多く埋蔵されており、黒いダイヤと呼ばれ各地で炭鉱の採掘が活発化していきます。削岩機がない当時の採掘は相当の重労働だったことでしょう。。。。力自慢は石炭を求め穴を深々と掘り進めていきます。炭鉱を掘り進んでいくとそんな力自慢を悩ますある問題に直面します。轟々と湧き出る地下水です。湧き出た地下水は、労働者の採掘に大きな支障となってしまいます。この地下水を取り除かないと採掘ができない。。。。そこでイギリスの発明家ニューメコンが解決策として排出用ポンプを考案しました。蒸気を利用した気圧の作用でピストンが上下し、地下水をくみだすことに成功します。このニューメコンが発明した蒸気機関の排出ポンプは鉱山の作業環境改善に貢献し、後に発明家ジェームズ・ワットによって改良され産業革命の動力となっていきます。

この産業革命の心臓部とも言える蒸気機関の力を乗り物につなげる着想を思いついた方がいます。ジョージ・スティーブンソンは蒸気機関を石炭輸送のための蒸気機関車として設計し、一度に30トンの石炭を炭鉱から運ぶことができたようです。30トンだとさすがに人力では難しそうですね。。。当時の人々の陸の移動手段といえば馬車であり、人数の制限や天候に左右されやすいなどの問題点もありました。そのような中、蒸気機関交通機関に応用したら多くの人を一度に、正確に、早く送り届けることができるのではないかと思い付きます。そして世界で初めて実用的な鉄道であるリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が1830年に路線開通されます。この鉄道の開設は人々の生活様式に大きな影響を与えましたが、会計制度にも画期的なアイデアを生み出すきっかけになったのです。

 鉄道はその利便性からまたたく間に広がりを見せ、イギリスでは1830年から1850年の20年間で、10,000キロのレールが引かれたといいます。北海道と沖縄の距離が3,000キロなので、その3倍の長さの鉄道網が敷かれたことになります。ただでさえ鉄道産業は投資にお金がかかりますので、20年の間にこれだけ鉄道網が拡大したとなると相当の資金が必要になったことでしょう。この資金の多くは株式を発行することで投資家から調達されましたが、ここで鉄道産業特有の問題が生じます。生活の近くにあり利便性の高い鉄道は運賃は高くないものの継続して利用されるため、収入は安定的に少額が継続して入ってきます。対して支出は鉄製のレール、車両、枕木、走行するための土地と初期に莫大な投資を行いますので、それを一時費用とすると大赤字となってしまいます。これでは株主からの資金調達もままなりませんし、利益の計上が安定しないことで株主への配当もいつ株主になったかで不公平が生じます。それを解決するため、減価償却という一定期間を通じた物の価値の減耗に合わせて固定資産を費用計上していき、将来の収益と対応させるルールが設定されました。

この時期、商人の懐事情を把握するための会計から、報告制度としての公的な側面がより強くなり、公認会計士が誕生するなど、近代の会計制度の基礎ができた時代と言えそうです。